伝説的なアイドルが引退した。道重さゆみさんである。
その活動期間において、黒髪と可愛いを貫き、スキャンダルは一切なし。アイドルに殉じたと言えるだろう。
SAYUMINGLANDOLL ~SAMSALA~
私は、道重さゆみさん(以降、愛称である「さゆ」と記す)のデビュー以来のファンである(22年間!)。この度、幸運に恵まれて、ツアーファイナルのチケットを入手できたため、ライブへと行ってきた次第。正直、私の如き、歴は長くともライトなファン(理由は後述する)が、このようなプラチナチケットを手にして良いものかと悩んだが、やはり、さゆの晴れ姿を目に焼きつけたいという思いが強く、行くことに決めた。
さゆと私
さゆのデビューは2003年1月。モーニング娘。の6期メンバーとして加入した。山口県宇部市出身。1989年7月13日生まれの蟹座、A型。当時13歳である。
私は、熱心なハロー!プロジェクトファンであった。『ハロー!モーニング。』を毎週の楽しみとしており、いまはなき『2ちゃんねる』の「モ娘板」(「羊」と「狼」)もよく閲覧していた(註: モ娘板は現在も存在する)。そのときの推しは紺野あさ美さんであったが、『ハロー!モーニング。』でさゆを見て、手のひらをクルクルしまくった挙句、推し変してしまった。紺野さんと紺野さん推しには大変申し訳ないが、結果的に最後の推し変となり、その後は何だかんだとありながらも、さゆ推しでい続けたので、お許しいただきたい。
私のアイドル遍歴と他界については、以前に記事にしたため、ご興味がおありでしたら、ご参照ください。
開演前
上記の通り、私は他界しているため、現役のアイドルファンではない。約10年振りのアイドルの現場。もちろん若い人もいるが、基本的にオタクが齢を取っただけで、何も変わらないような気も(笑)。オタクというのは一途な生き物なのだな、としみじみする。
私のチケットは1500番台で、前方で観ることは叶わぬと諦めていたのだが、一番前のフロアの最後方あたりには陣取ることができた。上出来である。ちらほらと二階席を眺めている方がおられたので、大森靖子さんや、ありぼぼさん(ヤバイTシャツ屋さん)、ハロプロメンバーらが来ていたのであろう(先のお二方はTwitterで投稿を確認。来ていらっしゃった模様)。

遠吠え
開演時刻の19:00をわずかに過ぎた頃、ライブは始まった。「さゆ〜↑↑」という奇声が各地で起こる。大の大人が…(苦笑)
そして、幕が引かれ、さゆが姿を現した。
あっ、さゆだ!可愛い!!!ちゃゆううううううう
念のため言及しておくと、「ちゃゆううううううう」は、さゆ公認で、「う」は7個が正しい。
私がさゆを(音楽と共に)追っていたのは、モーニング娘。に在籍していた一時期のため、会場にいる中で一番ライトなファンだったかもしれない。皆さんがお召しになっているピンクのTシャツを着ていないし、ピンクのサイリウムも持っていない。そして、お恥ずかしながら、ソロになってからの曲を知らない。しかし、イントロのウリャヲイ!や、BメロにおけるPPPH(パンパパンヒュー)など、耳に馴染んだ表現も多く、困ることはなかった。MIXはよくわからないので、発生しなかったのは助かった。私も段々と温まってきて、「さゆ〜↑↑」と奇声を発する始末であった。
さゆと私(Reprise)
私にとって、さゆとは何なのだろう(哲学)。彼女の何が、君を22年間も惹きつけたのかね。
そう、私にとって、さゆは、性別や年齢を超えた、可愛さの権化。即ち、アイドルの中のアイドルである。
さゆがモーニング娘。のリーダーを務めていた時期、「わたし可愛い!」というナルシストキャラでお茶の間に進出したが、そこにはグループ本体を世間に売り出そうという悲壮もあった(その姿勢は、後の嗣永桃子さんに繋がるのだが)。翻って、現在のさゆ。アラフォー。「よし、今日も可愛い!」と彼女はいまも言っている。しかも、以前よりずっとナチュラルに。
36歳?関係ないね。さゆはさゆ自身であり、今日も変わらずに可愛い。
Idols Don’t Cry
約3時間のステージ。「ありがとうございました!道重さゆみでした!」そう言って踵を返し、背中を向けて、颯爽とステージ中央のカーテンの向こうへ去っていった。涙はなく、最後まで笑顔で。素晴らしかった。
終演後、SEとして流れてきた曲は、「赤いフリージア」!!!さゆがデビュー当初のレッスンで全く歌いこなせず叱咤され難儀し、11年前の卒業コンサートでも「始まり」として歌われた、ファンにはお馴染みの曲である。流してくれると思ったよ!!!
おわりに
さゆがファンへの手紙で言っていたように、さゆが幸せな限りファンも幸せで、ファンが幸せな限りさゆも幸せなのだ。愛は円環する。そう信じて、さゆに悲しい顔をさせぬよう、幸せに生きていかねば。
ありがとう、さゆ。




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