私のアイドル遍歴

私のアイドル遍歴

何を隠そう、私はアイドルが大好きである。ロックを聴く傍ら、常にアイドルも聴いてきた。
今回は、私がアイドルにハマり、アイドルから他界するまでを綴ろうと思う。アイドルについて綴るが、孤独な青春の記でもある。
番外編である、『ベリキューエッグ編』はこちら。

モーニング娘。

遥か昔、『ASAYAN』というテレビ番組があった。
元々は『浅草橋ヤング洋品店』というバラエティ番組だったのだが、名称と内容をリニューアルして、オーディションドキュメント番組へと生まれ変わった。そこで募っていたのが、『シャ乱Q女性ロックヴォーカリストオーディション』である。
結果としては、平家みちよさんが優勝した。しかし、ここで大人の思惑が働いた。最終選考まで残った落選組からメンバーを選抜して、グループにして売り出そうとした。プロデュースは、つんく♂さん。これが、現在まで続く『モーニング娘。』の始まりである。

初めての推し

安倍なつみさん(以降、愛称である「なっち」と記す)である。
私のなっち推しは長く、4期メンバーが加入するまで揺るがなかった。あの後藤真希さん(以降、愛称である「ごっちん」と記す)が3期メンバーとして加入したとき、超エース級の新人の出現に世間は大きく騒ぎ、ごっちんへの推し変に走った者も多かったが、私はなっち派を続けた。
映画『ピンチランナー』あたりの時期で、なっちはぽっちゃりして激太りなどと言われていたが、そんなものはどこ吹く風、むしろそれが良い、とすら思っていた。

そして、モーニング娘。は7thシングル「LOVEマシーン」が大ヒット、一気に国民的アイドルグループへと駆け上がる。

初期の名曲。なっち可愛い!矢口真里さんによるハモリが絶品。
モーニング娘。 – Memory 青春の光

危険すぎる

長らく、なっち派を続けていた私だが、4期メンバー加入により、遂に推し変してしまうのであった。
加護亜依さん(以降、愛称である「加護ちゃん」と記す)である。
私は激しく葛藤した。当時、加護ちゃんは12歳(中1)。「俺、ロリコンなのかな…」と著しく不安に陥りながらも、可愛いので推さざるを得なかった。
世間にも衝撃が走ったようで、『ミニモニ。』のヒットもあり、いわゆる「辻加護ブーム」が起きたものである。私も、暇なときは「ミニモニ。テレフォン!リンリンリン」を、ときおり口ずさんでいた。言うまでもなく、私は圧倒的に加護ちゃん派であった。

加護ちゃんです!
ミニモニ。 – ミニモニ。テレフォン!リンリンリン

新たなる美少女の出現

すっかり加護ちゃん推しとなった私、日曜日は昼前まで眠り、モーニング娘。の番組『ハロー!モーニング。』を観るのがルーティンとなっていた。
だが、5期メンバー加入により、またもや推し変することになる。
紺野あさ美さん(以降、愛称である「こんこん」と記す)である。
こんこんは、つんく♂さん曰く「赤点の劣等生」で、ぎりぎりオーディションに合格したメンバーであったが、私は「黒髪、下ぶくれの丸い顔、ぱっちりした大きな目、可愛い、好き…」となり、加護ちゃんを裏切った。
つんく♂さんに「赤点」とまで評されたこんこんが、15thシングル「Do it! Now」で、絶対的エース・ごっちんと一緒に歌っているカットは、ちょっと感動する。

こんこんの勇姿を見よ。
モーニング娘。 – Do it! Now

運命の出会い、永遠の推し

こんこん推しとして、毎週『ハロー!モーニング。』を欠かさず観る生活を送っていた私であったが、モーニング娘。に6期メンバーが加入した。ここで、またもや私は推し変をする。しかし、これは単なる推し変ではなかった。最後の推し変だ。
道重さゆみさん(以降、愛称である「さゆ」と記す)、その人である。
ここからは一途に、さゆを推す生活が始まった。何と、2025年現在に至るまで、22年間、さゆ推しを続けている。「道重一筋」である。ちゃゆううううううう(さゆ公認のコール)。

从*・ 。.・) < なのに、どこ行ったんだよ〜
モーニング娘。 – シャボン玉

悲しいお知らせは突然だった。2025年1月19日、さゆは芸能界引退を発表した。このことについては、また別の機会に触れたい。

引きずられ後にする

その後も、モーニング娘。に7期メンバー(久住小春さん)が入り、8期メンバー(光井愛佳さん、ジュンジュンさん、リンリンさん)も加わった。私の推しは変わらず、さゆのまま。
しかし、さゆ推しは維持しつつ、私は、長年に渡りお世話になったハロー!プロジェクトを離れることになる。
理由は、「食らってしまった」ためである。

ももいろクローバーZ

私が「食らってしまった」、もとい魅了されたのは、『ももいろクローバーZ(以降、略称である「ももクロ」と記す)』であった。
私は、ももクロにパンクを見た。
当時のももクロは、十代の若さに由来する体力に任せて激しく踊り歌い、限界など知らぬとばかりに全力のパフォーマンスを行っていた。たとえ倒れても良い、倒れるなら前へ倒れてやる、という姿勢が、初期衝動に身を委ね命を燃やす刹那的なパンク・バンドのようであり、ももクロはパンクだ、と感じ取った。
実際、パンク・バンドが当時のももクロにシンパシーを示したり、パンク専門誌に取材されてもいた。

みんな違ってみんな好き

ももクロでの推しは誰であったかと言うと、選べなかった。いわゆる箱推しである。
強いて言うならば、佐々木彩夏さん(ピンク。以降、愛称である「あーりん」と記す)だったのだが、当時はまだ15歳(中3)で、過去に12歳(中1)の加護ちゃんを推した前科はあったものの、推すのが憚られた。
何と言うか、加護ちゃんは可愛い小ガキだったが、あーりんは中学生のくせに謎に大人っぽく、いくら可愛いとは言え、色気のある中学生に萌えるのは流石にまずかろう、と危険性を感じ取ったものである。

倍々ゲーム

私がモノノフ(ももクロオタク)になった当時は、横浜アリーナの公演を終えた辺りであった。次は西武ドーム、その次は国立競技場と、ものすごい勢いで、ライブの動員数を増やしていった。世間的にも、ももクロの勢いは注目されていて、非常に楽しい時期だったと言えよう。
私はライブDVDを観漁って男泣きしていた。お酒を飲みながら、ももクロのライブDVDを観ると、泣けるのである。早見あかりさん在籍時代を学び、「Overture」の合いの手や、メンバーの自己紹介のときのコールを憶えた。「かなこぉ↑↑」とかやっていたな!ちなみに、「Chai Maxx」は踊ることができた。懐かしい。
2ndアルバム『5TH DIMENSION』を引っさげて開幕した西武ドーム大会が懐かしく思い出される。国立競技場大会にも参戦した。ただ、そこで何だか、天井に辿り着いた感はあった。

2ndアルバム『5TH DIMENSION』からのキラー・チューン。
ももいろクローバーZ – 仮想ディストピア (Live 西武ドーム大会)

離脱

ももクロから心が離れたのは、大物アーティストとコラボして楽曲提供してもらうことを連発し、その楽曲のほとんどが退屈だったためである。10thシングル「GOUNN」は面白く思い気に入ったが、その他がことごとく私には受け付けなかった。
また、ライブ時のバックバンドの演奏が好きになれなかったことも大きい。アレンジが好みではなかったのだろうか。一流のミュージシャンを集めているはずなのに、つまらない演奏であった。ももクロはCD音源のオケでもクオリティの高いライブができるのだから、無理してバックバンドを導入しなくても良いのに、と落胆した。

BABYMETAL

ももクロを離れた私が行き着いたのは、BABYMETALであった。
当時、BABYMETALは、日本国内での活動を終え、世界に打って出るという時期で、非常にエキサイティングな展開を迎えていた。

最後の流刑地

私にとってBABYMETALは最果ての地であった。何故なら、「アイドル×ロックジャンル」というクロスオーバーを突き詰めたからである。
アイドルの楽曲において、これ以上の発明はないと考えている。考えてみれば、単純な掛け合わせだ。それでも、意外と誰もやっていなかった。何故、誰も思いつかなかったのだろう!?コロンブスの卵である。
全く前例がなかったわけではない。モーニング娘。にもミクスチャー・ロック調のアレンジが施された楽曲があったし、Buono!はロックのサウンドを取り入れていた。私が詳しくないだけで、他にもいくらでもあるのかもしれないが、コンセプチュアルに「アイドル×ロックジャンル」を突き詰めたのは、BABYMETALが初めてではないだろうか?
BABYMETALの場合はヘヴィメタルだったが、今後、アイドルにどんなロックのジャンルを掛け合わせようと、「それもう、2010年代中盤にBABYMETALがやっているし…」と、私の中ではなってしまう。アイドル×パンク、アイドル×オルタナティヴ、アイドル×シューゲイザー…何のジャンルであれ、方法論としてはBABYMETALと同じであるし、聴く気が起きず、あまり興味もない。
「ヘヴィメタルならでは」なのかもしれないが、引用やパロディ、オマージュがBABYMETALの楽曲には散見される。「おや、Slipknotのリフを引用してんな」とか、「あっ、Metallicaのパロディじゃん」とか、X JAPANのオマージュとか、そういう楽しみ方もできた。
楽曲提供には、THE MAD CAPSULE MARKETSの上田剛士さんなど。バックバンド(以降、「神バンド」と記す)の演奏も、鉄壁で申し分ない。故・藤岡幹大さんの変態的ギターテクニックが好きであった。
来るところまで来たのだ。

上田剛士さん作曲かつ最も有名な曲。
BABYMETAL – ギミチョコ!!

海外進出

BABYMETALが本格的な海外進出を果たしたのは、2014年のSonisphere Festivalだったはずである。
記憶が曖昧だが、YouTubeか何かの中継で観ていた気がする。少し異様な光景だった。日本の十代の女の子たちが、海外のロック(メタル?)・フェスに出て、屈強なメタラーたちも最初は訝しんでいたが、結果的には熱狂していた。どうなることかと思ったが、蓋を開けてみれば、大成功であった。ひとえに、メンバーの強心臓と、神バンドの確かな技術が呼び込んだ奇跡であろう。
その後は怒涛の海外ツアー、日本ではフェス出演と大活躍である。SUMMER SONIC行ったな!小ガキが、親子ともどもモッシュに巻き込まれて泣いていた。
海外大物アーティスト(Lady GagaやRed Hot Chili Peppers)の前座に起用されたり、フェスで一緒だった大物メタルバンド(MetallicaやKoЯnなど)とズッ友写真を撮りニヤつかせるなど、快進撃を続けるBABYMETALだったが、大事件が起きてしまうのであった…

モッシュしようぜ!
BABYMETAL – Road of Resistance (Live)

他界

私の推しは、YUIMETALであった。スタンディングのライブで、ステージ前まで行き、MOAMETALのファンサを食らって心が傾きかけたことはあった。しかし、私はYUIMETALが好きであった。可愛いからである。
2018年10月にYUIMETALの脱退が発表された。私は大ショックを受け、急速に興味を失った。そして、特定のアイドルグループのファンを辞め、他界した。
後任のメンバーには何の罪もないが、SU-METAL(神)を中心に、双子のようなYUIMETALとMOAMETAL(聖霊)が舞い踊る三位一体的な構図が、私にとってのBABYMETALで、オリジナルメンバーでなくなったBABYMETALは、私にとってはもうBABYMETALではなかった。
私の少し長い青春が終わった瞬間でもあった。

今後について

長いこと親しんだアイドルから他界して、現時点で6年強の月日が経った。現役のアイドルファンに戻ろうという気持ちは特にない。
ただ、ハロー!プロジェクトから離れても、さゆのファンを続けていた傍ら、譜久村聖さん(以降、愛称である「フクちゃん」と記す)も可愛いなと思っていた。
ハロー!プロジェクトもサブスクを解禁し始めたし、ゆるくハロー!プロジェクトに浸りながら、さゆとフクちゃんを遠くから推す余生を送ろうかと考えている。

ちゃゆううううううう。フクちゃん可愛い!
モーニング娘。 – わがまま 気のまま 愛のジョーク

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